「スカイ・クロラ」若者に伝えたいことがあるなら、映画じゃなくて飲み屋で語って下さい。

おなじく日曜日。渋谷東急で「スカイ・クロラ」。
以下、批判しか書きませんのであしからず。多分僕は熱心な押井守監督の映画のファンなので、これからも押井映画を見ると思うけど、それはきっと昔見た素晴らしい映画の記憶にすがりついているだけなのかもしれない。前にイノセントを見た時も酷評した覚えがあるのだけど、この映画もダメでした。残念です。

あと上のリンク先のサイトで流れる予告編を見ると、それがほぼ映画の全容なので時間を節約したい方にはオススメです。つまりわずか3分くらいで済む話を無理矢理2時間にしているだけにしか思えなかった。さんざん「僕は若者に伝えたいことがある」「何者かになることを放棄し、青春にしがみつくのは愚かだよ」という挑発的なメッセージが発せられていたので、ちょっと期待したのだが、特にそんなメッセージは映画の中のどこにもなかった。(やっぱ映画の中にそんな人生訓を求めることこそ愚かだよね、自分の人生はちゃんと自分で考えよう、と思った。)

「ショーとしての戦争」「歳をとらないキルドレ」というこの世界の設定。最初から公開されているこの設定から、まったく最後まで世界は何も動かない。(いや、勿論その「動かない」ということを描いているのはわかるけど、)映画が始まって10分もしないうちに、おそらくは最大の秘密とされているのであろう主人公の出自について予想がついてしまったし、それを大げさに発表したかと思うと、あげくはエンドクレジットの後にまでエピローグとして「説明」しちゃう始末。まったく映画を見る人をバカにしているというか、アホじゃないんだから何度も何度も同じことを言われなくても分かりますよ。何を血迷ったかと思うようなバラード主題歌(絢香)でビックリしていたら、更に追い打ちをかけるような始末。。

いや、説明過多な映画があってもいい。でもそれは、本当のエンターテインメント作品だけだ。娯楽に徹して、自己満足的アートな要素を排して、そして世界中のみんなを楽しませる映画であれば説明はどれだけ丁寧にしたって構わない。だけど「スカイ・クロラ」には爽快な戦闘機の空中戦シーンもなければ、死の恐怖も生き延びる喜びも、セックスの快楽も、恋のせつなさも何もなかった。セリフだけが登場人物たちの状況を生真面目に説明し続けるが、それらは全て予告編や事前の監督のインタビュー等で語られた以上のものではなかった。既に作り手によって語られていることを、もう一度まったく同じように言われても、それに感動することは出来ない。

これは「セカチュー」とか「クローズド・ノート」とか日本映画のなかのヒドいとこを担当していると思われる実績の脚本家とか、そういった売れてる人に頼めばエンターテインメントになるんじゃないか?というプロデュースの人たちの判断がまずおかしいのかも知れない。とりあえず「太陽が眩しかったから」「カミュ?」という赤面もののセリフのやりとりでこの脚本はダメだと思いました。この脚本だったらどれだけ説明的だろうと押井監督自身の言葉の方がいい。

あと、加瀬亮はよかったけど、菊地凛子はひどいし、谷原章介は子供の声に思えない。このあたりも声優じゃなくて今が旬の俳優をとりあえず選びましたって感じで、萎えてしまう。

まあ、散々文句を書いてしまったけど、これは主に僕が「映画を見ながら脚本を予想し過ぎてしまう」「すぐに似た設定の映画や本を頭の中で探してしまう」という悪い癖によるものかもしれない。もっと素直に見れば、事前に情報を全く入れずに見れば、それなりにいい映画かもしれない。今までも「意味深げ」に語ってきた押井映画だけど、今回は深いも浅いもない。とりあえず、伝えたいことがあるなら、無理矢理こんな映画作らずに、講演会でも本を書くでもいいから伝えて下さい、という気がする。

「世界」による設定によって生み出された子供たち。命にあまり価値を置かれていない子供たち。同様のテーマなら、カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」が素晴らしい。この本には悲しさも生の喜びも表現されている。

わたしを離さないで

わたしを離さないで