『サウダーヂ』

最近は映画で激しく感動してもTwitterにちょっと書いて終わりでブログにまで至らなかったりするんだけど、今日はたまたままだブログを書く理性が残っている(=あんまり酔ってない)ので書いてみようと思う。

『サウダーヂ』は映像集団「空族」制作の167分の映画。土方×ヒップホップ×移民×地方都市。甲府を舞台にして、右翼ラッパーと、土方と、ブラジル移民と、タイのお嬢さんと、甲府の街が描かれる。

167分、映画が生きていた。結末へと向かって激しく動くのではなく、この世界のあり方の一つの断片としてそこにあった。物語に必要なほんの少しの飛躍(=「虚」のようなもの)も用意されていたけど、この映画の生々しさを持ってすればその「虚」すらも観るものへの過剰なサービスなんじゃないかと思うくらい、ただそこに2011年の世界があった。悲しむでも無理矢理ポジティブになるでもなく、ただそれを受け入れたい。癒しは妄想と音楽。

世界と自分のいる場所/遠いのか近いのか/グローバリゼーション何だそりゃ/土方の仕事もなくなるってことかよ/俺たちゃラップで自分を表現するぜ/マジであいつら外国人ムカつくぜ/俺は誇りをもって生きてるぜ/嫁はうざいよタイの女の子は可愛いよ/マジこの街ももう終わりだぜ日本ももう終わりだぜ。。。。映画はあらゆる声を拾い、撮影して、演出して、我々の前に差し出す。

でもさ、こんなのもう俺もうとっくに知ってたよ。東京にいたってそんなの肌で感じるよ。俺の田舎は地方「都市」ですらない田舎で終わってる度はもっとすごいよ。どうやって未来に希望を持てばいいのかなんて、子供の頃に幸福な時代を過ごしてしまったものにとって、メチャクチャ難しい問題過ぎてもうあきらめちゃってるよマジで。。

だからこの映画は、「過去」を現実からの逃避の場所として明確に設定してみせる。幸せな子供時代、幸せな故郷、それこそがサウダーヂの正体。未来をつかむぜ!って景気のいいこと言ってるのも、全部ウソで、空元気でしょ?どーせ。過去が美しいと思うヤツ、ここではないどこか他の国がいいと思うヤツ、アホみたいな政治家に騙されるヤツ、アホみたいなオカルトに騙されるヤツ、みんな弱くて、現実から目を背けている。だけど誰がそれをアホだと言える。暗い未来しか浮かばないことを、誰がダメだと言える?だったら「過去」しかないべよ。都合良く脳内で構築された「過去」だとしても。それをサウダーヂと呼ぶんだよねきっと。

『サウダーヂ』には『SR サイタマノラッパー』が持つような、現実を捉えつつも戯画化されたおかしさもないし、『ヘヴンズストーリー』が持つ物語の癒しもなかった。掘るべき地面と、終わらない日常があった。ほんとに涙も出ないほどすばらしいよ。いや嘘だ。ミャオがギターで歌うシーンで泣いたけど。

映画を観終わって、クラブとラブホ街を抜け渋谷駅に向かった。マークシティの中でビール1杯1000円くらいする店のメニューに「ホルモン焼き800円」を見かけてクソと思い、異様に高いヒールを履いて、異様に短いミニを履いて、毛皮のショールみたいなのを羽織ってるかわいい女の子にクソと思い、混んでる山手線にクソと思った。映画が風景を変えてしまったのか?いやでもまた明日になれば忘れるだろう。だからこの映画は終わらないのだ。毎日繰返す、ループするトラックに乗るのは俺の吐き出す呪いと人生を祝福する言葉だけ。