『ロード・オブ・ザ・リング 公開10周年記念 スペシャル・エクステンデット・エディション3部作一挙上映』

去年の誕生日は何してたんだろう?と思ってブログを観てみたら、何も書いてなかった。Twitterは何かしら書いてるんだろうけど、遡るが面倒だ。2年前はこんなブログを書いていた。
http://d.hatena.ne.jp/biwacovic/20090822/1250948998

今年の誕生日ははまるまる一日映画を観ていた。池袋の新文芸坐で9:45から22:30まで、ロード・オブ・ザ・リング3部作の一挙上映。通常版じゃなくてスペシャル・エクステンデッド・エディション(以下SEE)バージョンなので、どれも3時間半〜4時間くらいある。とんでもない上映時間だったけど、しかもDVDでも何度か観てるんだけど、もう面白くて面白くて全くツラくなかった。まあ予想はしていたことだけど、本当にこの映画が好きみたいだ。

(ちょっと調べてみたら、『旅の仲間』208分、『二つの塔』214分、『王の帰還』250分なので、672分なので11時間12分 )

観客席は6〜7割くらいは埋まっている感じで、女性客が多かったような気がする。この人達と一日中一緒に過ごすのかと思うと、まさに旅の仲間だなーと思ってテンションがあがる朝の9:30。なんとなく客席も地味に躁状態だった気がする。

『旅の仲間』

これが3部作中もっとも泣ける。ホビット庄の平和な祭り、ガンダルフの花火、ストライダーの登場、裂け谷の会議でフロドが「僕が行きます」と言う場面。ボロミアの死、そしてサム泣かせんなよバカヤロウなラスト・・・。SEEではガラドリエル様のシーンがちょっと長くて、これは後の2部に繋がる重要な場面。

 なんといっても「指輪を捨てる」物語であり、そのために結成される旅の仲間が本当に感動的で、どうしても泣いてしまう。なぜ捨てなければならないのか、いやそもそも邪悪なるサウロンはなぜ存在するのか?ということを考えると、どうしてもこの311後の世界と重ねてしまう部分があったりして、泣かずにはいられないのだ。ホビットたちは呑気で、野心もなく、ビールとパイプ草が大好きで、それでもこの指輪を捨てる旅に出かけるのである。悲壮な使命感というよりも、しかたないなあという感じで。

二つの塔

もっとも大作映画らしい作品。フロド、サム、ゴラムのパートと、アラゴルンたちのパートに完全に分かれているがどちらかと言うと後者がメインで、ヘルム峡谷の戦いへ向けて全てが盛り上がっていく。SEEではエオウィンがアラゴルンに年齢を尋ねて「87歳です」と告白するシーンが楽しい。(登場人物たちの年齢は通常版ではほとんと触れられない)ヘルム峡谷でギムリが「この夜を生きのびようぜ」みたいなことを言うシーンから後は完全な大戦争映画の文法で描かれる。泣くようなところはないと思っていたら、サムが「まるで悪い物語の中に入り込んでしまったような気がします・・」などと説明的なセリフを言うシーンを忘れていた。無理矢理過ぎる説明セリフだけど、「勇者サムワイズ・ギャムジー」とかで涙腺決壊。

あとは木の髭によるアイゼンガルドの崩壊のシーンで、木の髭がダムの水でジュッと自分の火を消すシーンが大好きだ。メリーが戦おう!って言って、ピピンが諦めようぜってなるところも泣けるし笑える。おれたちゃホビットだぜ、世界を救うなんて無理だよって。

王の帰還

巨大な山脈を横断する狼煙のリレーのシーンが公開当時の泣けるポイントだった。SEEバージョン観て以降は、それよりもお化け軍団って最強にして最凶過ぎるよなあ・・とか、黒門から滅びの山って割と近いんだなあとか、招集されるオークたちが哀れだったり、細部にばっかり眼がいってしまう。印象としてはミナス・ティリスの都の造形と、ペレンノール野の戦いのスペクタクルには今やすっかり慣れてしまったのだけど、やはり劇場で観るのは楽しいなあという感じ。

ただし最後のシーンは鉄板。サムの「戻ったよ」。(小説では「今帰っただよ」)に、心が千切れんばかりに感動するのですよ。「ああ、おらはホビット庄に帰ってきたぞ」って。ホビットじゃなくて人間のオッサンなのに。

朝の9:45に始まった旅は、22:30に終わる。なんとも観客にとってはコンビニエントな冒険だけど、もう一度のこの物語を体験したくて、まるで親に絵本を読んで欲しいとせがむ子供のように、また旅に出たいと思ってしまうのだ。行きて帰りし物語ホビットの冒険、そして指輪物語・・・物語が人間を現実の世界に繋ぎとめ、世界を記述し、人間に「役割」を与える。人生は概ね無意味だけど、「役割」を果たすことには意味があり、僕らはおそらくはその役割を熱烈に求めている。それを見失った時は?その時はフロドやサムのことを思い出そう。そして旅の仲間とモルドールへ出かけよう。もちろん帰ってきたら、その体験を本に書くのだ。