『監督失格』

9月3日土曜日。TOHOシネマズ六本木ヒルズで『監督失格』。

平野勝之の新作は庵野秀明プロデュースで林由美香の死についての映画らしい・・という情報が出てからずっと、これは観るしかない/だけど観るのが怖いという気持ちだった。しかしどうせ観るなら誰かの感想を読む前に、自分の眼で確かめたい。そう思って公開初日の初回10:00の回に向かった。(皆さんも観に行こうと思っている人はこんな駄文など目もくれずにすぐに映画館に行った方がいいと思う)

単館レイトショーではなく六本木ヒルズで公開するということ。かつてない規模での宣伝であるということ。頻繁に行われるマスコミ向け試写。主題歌は矢野顕子。当然のようにヒルズで公開されているハリウッド大作の前にも流れる予告編・・・映画を観る前にこれらの要素だけでも、相当に異様な作品だなあという印象を持っていた。本編を観て、よりその思いを強くした。

それはつまり、意地でもこの映画を「開かれたもの」にしようとする強い意志のようなものを感じたということだ。小さな映画館で、平野勝之林由美香が「わかる人」に向けて発信し、「わかって」もらって、「とてもよかったです」と言ってもらう映画ではないということ。なんだよコレ・・と呆然とする人/怒る人に観られることを恐れず、ひたすらに映画を届かせようとする思いが詰まっていた。個人的な/でも一部の特殊な人たちには有名な平野勝之林由美香の物語、ではなくて、皆さんは知らないかもしれないけど、一人の映画監督と女優の映画を作りました。観に来てください!という野蛮な勇気に溢れた映画。

そしてその「開かれた」映画は、後半以降に怒涛の展開を迎える。今こうやってキーボードを叩いていても、思い出すだけで涙が出てきてたまらなくなってしまう。恐ろしくて観ていられないのに、スクリーンから目を離すことが出来ない。頭が痛くなるような、胸が詰まるような気分になって、目の辺りが痺れたようになった。そして迎えるラストシーン。どんなホラー映画よりも恐ろしい、人間の本当の孤独が焼き付けられている。夜の街に吠える一匹の人間。どうしてこんなものを一般に公開しようとしたのか、その企みが本当に恐ろしい。

僕はこの映画を、ネットで1800円のチケットを買って、往復320円の交通費を使って、900円のパンフレットを買って、そうやって「鑑賞」した。「消費」したと言ってもいいかもしれない。なんでなんでこんなものに「対価」を払うのか?お腹がいっぱいになるわけでもなく、寒さをしのげるわけでもなく、快楽を得られるわけでもなく、とてつもなく「商品」ならざるものに対して、僕はそれが商品であるかのように振る舞っている。そうすることで、これが現実であるということから逃避しているのかもしれない。

映画監督は?彼は普通であれば「商品」にならない映像を、編集し「映画」を作って、周囲の人達はそれは商品である振りをして売っている。壮絶な詐欺である。作る人も、観る人も、誰も得をしない。辛い思いだけが唯一確実に存在するものだ。だから平野勝之が「未だに乗り気になれない」というのはムチャクチャ正しくて、全く間違っていないし作らせた周囲が酷い・・・と思うのだ。だけど、この作品は作られた。そして僕はその作品に拍手をしている。これ以上の作品にそうは出会えないだろうとすら思っている。

芥川龍之介の「地獄変」を思い出す。地獄絵図を描くために、自分の娘を焼き殺される絵師。地獄変の絵師はその絵を描き上げて、そして自死する。しかし平野勝之は違う。カメラを決して地獄に向けることはない。監督としては失格であっても、それでもカメラは地獄ではなく自分へと向かう。それが「生きていく」ということなんだと思うと、また涙を流すしかなくなってしまうのである。辛すぎる。

映画を観るとはそもそもどういう行為なんだろう?簡単には定義出来ないけど、一つは「体験すること」の外部委託であり、感情を人工的にコントロールすることだ。他人の悲しみや喜びの物語を浴びて、感情移入と浄化を得る。だけど『監督失格』はそんな映画の欺瞞をぶっ壊してしまう(だって最初から「監督」が「失格」宣言してるんだから)。

人が死んで悲しいということは、一人の人間の内部で起こることなんだ。他者に感情移入して悲しさを疑似体験してんじゃねーよバカと言うことだ。この映画が本当に恐ろしいのは、そんな喪失のど真ん中に自分たちが生きていて、これからもずっと叫び続けるしかないという現実を突きつけて来るところだ。そして同時に、映画監督がそれ以外に作品を作るネタがないという恐ろしい状態になったら?という禁じ手中の禁じ手をもさらけだしてしまった。こんな映画はそうそう許されるべきじゃない。こんな作品を作らせるのも罪だ。観る側からすればこんな体験は一生に一度でたくさんだ、と思う。(でもきっと何度も観てしまうんだろう・・)

俺もあのスクリーンの暗闇の中で叫ぶ、一匹の寂しい人間なのだ。