東京国際映画祭2010

10月23日〜31日までの東京国際映画祭。23回目だそうである。今年は結構観に行った。(というかすべてのチケットは妻がとってくれたので、俺はズボラにそれを観るだけという受け身な態度だったのです。。)

まあでもこういう映画祭での映画との出会いというのは、ある程度の偶然の出会いが大事じゃない?ということで、こんな感じで良かったと思う。

『ドッグ・スウェット』

イラン映画。『ペルシャ猫を誰も知らない』のように、いわゆる今までのイラン映画の印象をなぞらない映画で新鮮だった。様々な状況の若者たちが描かれて面白いけど、ちょっと普通にロードショー公開は厳しい作品だと思うので、映画祭で観ることが出来て良かったなあという気がする。

上映後のQAセッション。落書きのシーンはCGだと知ってちょっと衝撃だった。イランでゲリラ撮影したけど、さすがにホントに落書きは出来なかったらしい。その他、出演者の都合で変わった結末とか、ゲリラ撮影ならではのエピソードが面白かった。

『ゲスト』

ホセ・ルイス・ゲリン『ゲスト』。各国の映画祭を回る監督が、行く先々でカメラを回すのみ。映されるは雑談、雑踏、街角の演説、どうでもいい話・・・まったくとりとめがない。映像で綴る個人ブログ。

それらのダラダラした断片が「何月何日何曜日」の文字で区切られて続いていく様子はまるで「水曜どうでしょう」の編集のようで、しかもそのどうでもいい映像の連続がなぜか見逃してはいけない瞬間のような気がしてじっと見入ってしまうという不思議な映画だった。

表面的なテーマはない。裏にはキリスト教が拡散していった世界・・というのがあるらしい。(twitterで見かけた)ほぉー。

『忠烈図』

キン・フーの75年作品。倭寇の時代のお話。サモ・ハン・キンポー演じる倭寇のドンをはじめ、珍妙な日本人もたくさん登場するが、ふざけてる映画ではない。テーマは「七人の侍」的な、少数精鋭軍団と、大規模軍団の戦いの物語。冗談のように強いウー夫妻や、その他の武人たちがひたすら戦いまくる。もちろん定番の吹き抜けの空間での戦闘もある。メニューはおまかせキン・フー定食のみ、の定食屋のような映画。つまり、好きな人にはたまらない。

戦闘以外の描写の異様なまでのあっさり感といい、ラストのスピード感といい、とにかくカッコいい。

『エッセンシャル・キリング』

イエジー・スコリモフスキ監督最新作。ギャロがひたすらに逃げ、生き延び、色んなものを吸い、そしてまた逃げる映画。パントマイムの緊張感がずっと続く。

六本木ヒルズスクリーン7の大スクリーンを埋め尽くす黄色い大地と白い雪。そして爆音で鳴り響くノイズ。何かを体験していることはわかるのだけど、それが何かは分からない。誰かの感情に寄り添って体験するのではなく、感情を超越した何か恐ろしいものに触れるような世界の果ての物語。すごいものを観てしまったのだなあと今にして思う。

『わたしを離さないで』

これも別途エントリーを分けて書こうかな・・・

とりあえず原作の「ムード」にはとても忠実だと思う。だからボロボロ泣けたけど、それは原作を思い出しつつ泣いたという感じで、あの映画自体には原作が持っていた不穏な空気や、徐々に人生の秘密が明らかになっていく、怖さはない。最初から観客に設定を明かすつくりになっているのは、効率良く物語を結末へと進めるためだ。僕はその結末よりも、子供時代の3人の「心」のありようがこの小説の核だと思うので違和感を持ったけど、まあ映画に小説と同じものを期待してもしょうがないし、主演の3人は見事だったと思うしね・・・ 後半の曇天模様は素晴らしかった。しかしヘールシャムの幼年期にもっと素晴らしい緑や青空を映して欲しかった。

『ハイファ』

パレスチナの映画。黒澤明に影響を受けたアジア映画特集の1本で『どですかでん』と言われると確かにその通り。ガザの難民キャンプで「ヤッファ、ハイファ、アッカ!」と叫びながら街を歩く男。彼は動かないバスを運転する。そして描かれるその街の人々。テレビの中のアラファト議長

疲労のあまり途中でちょっと寝てしまったのが残念。

『逃亡』

これも黒澤明に影響を受けたアジア映画特集の1本。キン・フーと同じく『七人の侍』の影響がある映画とのことだったが、それって最初の20分くらいだけじゃ・・という気がした。誘拐される農家の娘役はチャン・ツィイーみたいで可愛かったけど、山賊の集団が頭悪すぎて・・・。わーっと突撃しては死んでいく彼らが哀れでならなかったです。

そう言えば『MUSA』って映画のチャン・ツィイーはかなり大迷惑なお姫様で良かったなあと思い出したりして。

重慶ブルース』

長い間会っていなかった息子の死、事件。父親は息子の住んでいた街にやってきて、彼の友人や恋人に会い、息子のことを聞く。

「不在」の映画。大事なことは全て起こってしまった後の映画。そして間接的な言葉によって像を結ぶ息子との「再会」は、多くの欠落を残したまま、それでも父親の中に記憶として定着する。

所在無げなオヤジ、粘り強いオヤジが街を彷徨する。古いビルと新しいビルが混在する風景もまるで父と息子のようで良かった。