伊藤計劃/『虐殺器官』

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

俺はなんという傑作を読んでなかったのだろうという悔恨にかられる小説。読もうと思わなかった理由は伊藤計劃という名前になんとなく馴染めなかったのと(旧字体を使うアーティストってのが物凄い苦手。椎名林檎とか)、彼の病気のことがどうしても頭から切り離して読めないだろうと思っていたから。

伊藤計劃は昨年他界し、『ハーモニー』はSFが読みたい!2009の第一位になって、『虐殺器官』は文庫化されていた。この間とある酒席でバラードの話になって「『虐殺器官』って読みましたか?」と聞かれた。なんとなくその真黒な表紙に呼ばれているような気がして、読み始めたらこれがもう面白くてあっという間に読了してしまったのだ。

J・G・バラードグレッグ・イーガンパトレイバー、功殻機動隊、地獄の黙示録・・・様々な20世紀から21世紀のフィクションたちが紡いで来た物語が、"911"をまたいで更に新たな物語を生み出したような感覚にとらわれる。それは言葉だけで大仰に世界を語ろうとする態度ではなくて、あくまで個人(もちろく多くの他人と接続された状態での)の視点から離れることなく、極めて誠実に世界の状況をデフォルメしてみせている。このデフォルメこそが、なんとなく後ろめたさを感じている平和で安全な世界の住人たちへ謎解きであり、踏み絵である。

我々は踏み絵の前で、とりあえずこれが小説であることに安心する振りをする。しかし、人間がやってきた虐殺(目に見えない形のものも含め)は、今もまさに続いているし、その血染めの空とこの空は、疑問の余地もなく繋がっている。