マノエル・デ・オリヴェイラの映画

4月11日。ユーロスペースで『夜顔』と『永遠の語らい』。5月3日。岩波ホールで『コロンブス 永遠の海』。(岩波ホールでやってた『ノン、あるいは支配の虚しい栄光 』は観に行くことが出来なかった。)

  • 永遠(とわ)の語らい Um Filme Falado (2003年)
  • 夜顔 Belle toujours (2006年)
  • コロンブス 永遠の海 Cristóvão Colombo - O Enigma (2007年)

夜顔』の時が97歳。現在は101歳だそうで、これはもう俺の祖父母が存命だったとしても追いつけないお歳だ。

wikipedia*1によれば「本格的かつ定期的に作品を創り上げるようになったのは60歳を過ぎてから」だそうで、本気出すのが遅いにも程があるが、素晴らしいというしかない。100歳ってことは太宰治とかと同世代ってことか。

歳のことより映画の話。『夜顔』はカトリーヌ・ドヌーヴ『昼顔』の40年後を描いた作品。夢のようなバーでお爺さんが優雅に酒を飲みながら話しているシーンと、かつての娼婦とお食事をしているシーンの二つしか場面はないと言ってもいいくらい。猛烈な睡魔に抗う術もなく、ひたすら落ちてたような気がする。(『昼顔』ちゃんと観て出直します。。)

永遠の語らい』。歴史学の美人教授と娘が地中海を船で旅する物語。文明の跡を辿りながら続く旅は「世界ふしぎ発見」のようで、こんなにゆるくて大丈夫かと心配にもなるが、ジョン・マルコヴィッチ扮する船長と、各国美熟女たちのマルチリンガル・各国文化論トークショーの場面になるともはやこれがテーマの「語らい」なのかとびっくりする。(そのまんまやん!って)。そして衝撃のラストシーン。対話と旅。テロや戦争をする男たちを批判し、文明を讃える女性たちに最後に襲いかかるのもまた「歴史」であるという皮肉。

コロンブスの旅』。デジタル上映。1時間15分。前半はいかにも映画の始まりという感じで身構えるのだが、監督ご本人と奥様が出てきて延々とコロンブスが云々とやり出すともはやこれが通常の劇映画ではないことに気付く。沖島勲監督の『これで、いーのかしら。(井の頭) 怒る西行』をも彷彿とさせる、観客との対話式、授業形式の映画なのだ。ただしコロンブスにそこまでの歴史ロマンを見て取れない身にとっては、眠気との戦いの授業であったことも告白しておく。

眠い眠いとしか書いてないが、どれも挑発的で挑戦的な映画であることも事実。100歳を超えたオリヴェイラ監督は、死んでしまった人たちの/生きている人たちの「歴史」が世界を作っている、ということを、これからも描き続けるのだろう。