『隣の家の少女』

4/21。シアターNで『隣の家の少女』。ジャック・ケッチャムの原作小説は「最悪の読後感を味わわせてくれる小説を教えてください。」とかに基準となる小説としてあげられるほどの劇薬小説だが未読である。

河原で出会う少年と少女。boy meets girlの爽やかな青春ものを偽装して始まる物語は、ほどなく壮絶な暴力の物語に変わる。集団による狂気。リンチという意味では『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を思い出した。しかも連合赤軍の映画では「私」という一人称の存在はなかったの対して、この映画には明確に「私」がいて、彼は少女への暴力を(半ば強制的に)目撃し続ける。ゆるやかな狂気に向かう「隣の家」に対して、明確なツッコミを入れられず戸惑う「私」の様子がまるで人ごとじゃないリアルさで迫ってくる。おそらく俺も彼と同じような状況に陥ったらもっと無力な傍観者なんじゃないかと思う。

これだけ気分の悪くなる物語を、小説だけでは飽き足らず「映画」という大勢の人を巻き込んで創る形態で表現したい、という欲求は理解しがたいと思ったが、よく考えたらこの映画を観たいと思った俺も同じ共犯の中にいるのである。そう思うと・・・まあ人間というのはどれだけ残虐なのかという話になるわけで。あーやっぱり気分が悪い。だけど観なきゃ良かったとは1mmも思わず、観てよかったと思っているのである。

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)