『第9地区』

4月9日。丸の内ピカデリーで『第9地区』。

どんな言葉でこの作品のことを誉め称えればいいのか悩む程に素晴らしい映画だった。もう1回観たい、と見終わった瞬間に思った。

これから観に行かれるみなさんは、とにかくどういう映画なのか先入観を持たず、ただヨハネスプルグの空中に巨大な宇宙船が浮かんでいる様子、あれだけを大前提として挑んで頂きたい。余計な知識も心構えも無用。ただひたすらに、この映画は観客に多くのものを恵んでくれます。お恵みと言うべきか、施しと言うべきか、いや汚物を投げつけてきてるのかもしれないな。とにかく情報量が圧倒的で、良いものも悪いものも、そういった判断をせずにガンガン目の前に提示される。我々の貧弱な処理装置は、それらに対して、あらかじめ決められたような反応の連続でしか対応出来ない。だけど、その貧弱な対応であっても、いつしか目の前に横たわる風景は、最初と全く違うものになっていることに気付くだろう。そう、もうこの映画を観る前の自分には戻れない。

(こっから後は観た人だけ)

とにかく最初から最後まで素晴らしいスピードとテンションで映画は進み、ロケット砲はぐるぐると旋回して敵に向かい、兵器のデザインはすばらしくジャパニメーションしてて、エビたちは不気味にそしてキュートに猫缶に夢中だ。そんななか、主人公は我々観客の代わりに変身をする。

ベトベトしたエイリアンの分泌物をポップコーンに振りかけて食べながら、みんなでこのクソ人類どものクソ惑星をぶっこわそう!と陽気に叫びたくなるようなハイテンションが一瞬俺を襲ったが、直後にそんな能天気な映画でもないことに気付く。そう、これはやっぱり「現実」と繋がってる映画だから。

あるものが他の異質なものに出会う時、その衝突を文化と後世の歴史家たちは呼ぶのかもしれないが、その衝突の中にいるものにとっては、それは差異の発見と嫌悪の誕生に過ぎない。

異質なものを嫌悪することはすなわち、同質なものへの愛着と裏表の関係になりやすく、しばしばその表と裏は入れ替わり、世界を覆う暗い影となる。『第9地区』はそれらを2時間で描写出来るように整備した舞台装置に過ぎない。狂言廻しだったはずの男は、いつか自分が主人公であり、敵であり、そしてやはり名もなき一市民であることを知る。彼の変身は「感情移入」なんて甘っちょろいレベルの共感ではなく、もっと強制的なパッチあてとして、世界をエビ側に引き寄せる。そして我々は思い知るのだ、人間はホントにクソだと。我々はくだらない差別や嫌悪の中で歴史を重ね、ずっと長い間争ってばかりいる。

だけど、人間はクソだ、人類はもう終わりだ、とこんなにも楽しく歌って盛り上げてくれる映画は初めて観た。人間がアホだからといってエビたちが知性にあふれたオーバーロードでないところもいい。結局のところ、我々はこの惑星の上で、ドタバタと逃げ回り、争い、戦いながら、それでも少しでもこの世界がマシになるように、よくなるようにと頑張ってるんだよ、多分。