『スリップ』

1週間遅れで感想を書く。ポレポレ東中野R18 LOVE CHINEMA SHOE CASE Vol.7鎮西尚一監督『スリップ』。素晴らしかった。

あらゆるシーンが、決して超絶的な技巧や光や風景や演技がそこにあるわけでもないのに、かけがえのない一瞬として映画の中にあった。

川沿いの街。沖島勲監督演じるおじさんがいる川。伊藤猛演じるアル中の夫は、決して生きるのがツライと大声で言ったり、涙を流したりはしないが、「嫌々起きて、嫌々寝る」とつぶやく。彼の余りにも長くて細い手足はまるでファンタジーの登場人物のようで、いくぶん生活感にあふれた女性たちの体と見事な対称を描いている。

彼は嫌々ながらも生きている。その周囲には昔の彼女とその彼氏が寄り添っている。この夫婦の棲む家もまた、ファンタジー/現実を自在に往き来する不思議な場所だ。屋根の上の昼寝のシーン、塩ビ管のスピーカー、スクーター・・・彼女と彼の地に足のついた「生活」のリズムが、伊藤猛を緩慢ながらも運動する主体へと導く。海はいつでも飛び込める(=死ぬことは簡単だ)が、離婚届を手にした夫婦はあっさりと、突堤から引き返してくる。そう、介護をうけているおばあちゃんもまた、この世界をともに生きる連れ合いなのだ。

何も起こっていないような時間や、何かが失われていくその途中経過が、この映画の中では悲劇的でも喜劇的でもなく、ただそのことが奇跡のように「有り難い」ことのように見える。息の仕方をしているだけで奇跡だぜ。スクーターの乗り方を知ってるだけで奇跡だぜ。