『フローズン・リバー』

日曜夜。シネマライズ『フローズン・リバー』

大傑作、だと思う。

「レスラー」とか「グラントリノ」とか観て「最高!」なんつって
男の生き様に酔いしれてるオレらボンクラ野郎が
この映画の脚本・監督(女性)コートニー・ハントさんに胸ぐらを掴まれて
往復ビンタ100発くらうような、そんな映画です。

男が「夢」だの「生き様」だの「死んでもいいからこれだけは!」だの
ほざいてる頃に日々、家を守り飯を作り家事をこなし子供を育てている
女性たちから「ざけんなテメエ!!」と拳銃で撃たれるような、そんな映画です。
大根仁のページ

ここにも書かれているけど、僕が思ったのも「レスラー」との対比。去年レスラーで感動したけど、その時に感じた居心地の悪さの正体が、この映画ではっきりと暴かれた気がする。それはつまり『レスラー』は「生きていく」というただそれだけのことから逃げる男の物語であり、『フローズン・リバー』逃げない/逃げられない女たちの物語だということ。逃げる場所があるレスラーの物語は一つのファンタジーとして成立するが、彼女たちの物語における現実は強固であり、ゆるぎなく、ファンタジーは決して起きない。

だからこそ、ラストシーンの限りない優しさに言いようのない感動を覚えてしまう。ファンタジーも必要だけど、僕らの生活に近いのはこっちだ。

1ドルショップで働くレイ。モホーク族のライラ。二人の厳しい表情、笑顔のない映画。凍てついた川。レイの家は夕飯がポップコーンの貧しい生活。娯楽はレンタルのテレビ。なのに家とか買っちゃうし、ライラの寝ているトレーラーハウスの侘しさも凄い。

1ドルショップで売られるのは中国製の品物。そして彼女たちは中国からの不法移民を密入国させる仕事に手を染める。小さな街の出来事は、そのまま世界に繋がっている。

笑顔はないし、連帯しよう!とか私たちは友達だよねとはしゃぐわけでもなく、皆が控えめに手をとりあう。現実を一気に塗り替える魔法はない。二人はテルマ&ルイーズじゃない。だけど、そんな例えようもなく「普通」な光景が、なぜか激しく心を揺さぶった。本当に素晴らしい映画でした。