「マラドーナ」

日曜日。世界クラブワールドカップ決勝のエストゥディアンテスバルセロナの試合を見る。ベロンの頑張りに感動しつつ南米王者を応援していたが、最後にはメッシが決めた。二人のアルゼンチン人の活躍を見ていたら、たまらない気分になってきたので映画に行くことにする。もちろんエミール・クストリッツァ「マラドーナ」(Maradona by Kusturica)。

世界最高のサッカー選手であり、チェ・ゲバラカストロを崇拝し、コカイン中毒から立ち直り、激太りからダイエットに成功し、クラブで歌をうたい、ボンボネーラでタオルを振り回すマラドーナ。どこからどうみても、普通に人間であり、そして神様だ。映画を観ながら、その両義性に震えた。

クストリッツァはサッカー選手のようにマラドーナと対峙している。泥臭いマンマークのようにマラドーナの告白を聞き出したかと思えば、自らの映画史とマラドーナの人生を華麗にオーバーラップさせるようなプレイも披露する。

セックス・ピストルズの”God Save The Queen”はこれ以上無いというほどにマラドーナのプレイにぴったりの音楽だった。左耳ピアス、カーリーヘアー、マラドーナはサッカーの神様でもあり、ロックスターっぽくもあった。

ボンボネーラでサポーターたちと一体化してゴールを喜ぶ観客席のマラドーナに泣いた。「オーレーオレオレオレ、ディエゴ、ディエゴ」の歌に泣いた。そしてマラドーナ教の信者の婚礼の儀式(=ゴールしてカメラに向かって雄叫び)のシーンに泣いた。バカバカしいまでのオモシロ悲しい人生。まさにクストリッツァの映画のようだった。

人は皆、神様に憧れる。ディエゴ・マラドーナは夢をかなえて神になった。たくさんの人たちがマラドーナに幸せにしてもらった。マラドーナは転落した。するとたくさんの人たちがマラドーナを貶めた。マラドーナは自らの人生を祝福し、しかし同時に悔いてもいる。クストリッツァはそんな神様/人間の姿を映画にしたのだ。そこには愛だけがあって、5人抜きゴールのような美しさでこの胸に突き刺さった。