「マイマイ新子と千年の魔法」

土曜日。新宿ピカデリーで「マイマイ新子と千年の魔法」。

Twitterで偶然知った映画。観てよかった。何が素晴らしいって、空想が現実逃避の空想じゃなくて、現実と完全に地続きになっているところ。妄想が妄想として力を持つ、という映画も嫌いじゃないが、余りにも都合が良過ぎる。現実はもっと強固で酷薄だ。そういう立場にたってこそ、「非」現実は現実と戦うためのツールになる。新子の頭の中の「千年前の世界」が、現代と重なる瞬間、その力強さにゾゾーッとした。

ピーター・ジャクソンの「乙女の祈り」にもちょっと似ていると思った(結末は違い過ぎるけど)。

あと同じマッドハウスの「サマー・ウォーズ」よりも完全にこちらの方が好みだということが分かった。ご都合主義の仮想世界よりも、自分で世界と対峙する脳内世界の方に強くシンパシーを感じる。そう、子どもはみんな、空想が好きだから空想しているんじゃないのだ。空想とは、自分でこの世界を語り直し、受け入れ、コンパイルしようとする行為なのだ。