下流志向

内田樹下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち」読了。文庫になっていたので買って読んだ。

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

折り目いっぱいつけた。なるほどなるほど。内田先生のブログを読んでいると何度も繰返されているような内容ではあるけれども、こうやって文庫本でさらっと一冊通して読むと、改めてするっと頭に入ってくるところもあれば、なんとなく騙されているような、でもその「騙し」が心地よいような、信じたいような気持ちになったりする。

前に証券会社の入力ミスで、株の売買の桁数を間違えて、それに気づいたデイトレーダーが数分間で数億円を稼いだということがありましたね。こういうのが無時間モデル・ビジネスの典型です。キーボードを何回か叩くだけで、銀行口座の残高に十桁の数字が並ぶ。入力するとほとんど同時に巨大な出力が現前する。これが無時間モデル・ビジネスの理想なわけです。
 こういうショートスパンの活動は人間に強烈な快感を与える。人間が生きる上でこういう無時間的な活動のもたらす快感はやはり必要だと思うんです。そういう痺れるような快感が時にはないと、とてもじゃないけど、僕だって行きていけない。

というところは確かにそうだ、と素直に思うのだけど

無時間モデル・ビジネスの理想が、キーボードを叩いてネット上で株取引が瞬間的に終了することだとすれば、その特徴は匿名性と非身体性ということになります。ゆきかうのは電磁パルスだけですから、キーボードを叩いているのが誰であるか、どのような身体を持っているのか、ということはもう問題にはならない。仮にコンピュータに、株価の変動に反応して株の売り買いをするプログラムをインストールしておけば、キーボードの手前には人間がいる必要さえない。無時間ビジネス・モデルの極限のかたちはプレイヤーに「おまえは誰であってもよい」と告げ、最後には「おまえは存在する必要がない」と告げることになるでしょう。
 僕たちの社会はそういう方向に近づきつつありますけど、生物としての本能がぎりぎりのところで「そういうのはいやだ」ときしむような悲鳴を上げるはずです。僕はそれくらいには人間の生命力を信じてもよいと思っています。

の後段のくだりはそうかな?と思ってしまうのです。生命力の問題というよりも、人間の感情は快楽に相当弱いから、一度知ってしまった快感とそれへの入力については強烈に固執するし、それはたやすく本能すら制御してしまう。だからニートも、自殺者もとっても多いんじゃないかな?

原因は社会の構造?政治の問題?そしてなによりそれを支える基盤であるテクノロジーの問題なのかな、という気がする。極論を言えば、本当に人間性の回復を求めるなら、インターネットと携帯電話が全て禁止されるくらいのことがない限り、人間が知ってしまった快楽を忘れるのは難しいだろうな・・ということ。