Heaven Knows I'm Miserable Now

iTunesでスミスを流してたらかかった曲。"Heaven Knows I'm Miserable Now"

最近は体調が悪くなったり、体調が戻ったと思ったら気分が鬱になったり、まあいつもどこかしら具合の良くないところがあるのがこの「生活」というヤツですが、でもこんな情けないタイトルの曲にやられていてはいけないな、と思ったりする。アカデミー賞でウォーリーが受賞したり、「スラムドッグ$ミリオネア」が8冠というニュースを読むと、なんだか力強く肯定的なものを世の中が求めているような気がする。それも表面的にではなく、根本的に。(スラムドッグは見ていないからどんな映画かよく知らないけれど)

ベルリンでは「愛のむきだし」が国際批評家連盟賞とカリガリ賞だそうで、これもなんか繋がってるような気がする。開き直りとか全肯定の映画。

エルサレム賞村上春樹が受賞した。スピーチの翻訳を読んだ。文学とは何か?なんて、長い間すっかり考えたこともなかったけど、それでもなにかハッとするような感覚があった。文学のもつ回りくどさだけが、直截なもののパワーを超えること。むかし村上春樹の小説を読んだときに確かにあったもの。

元気が出ないときに、とりあえず何かを買おうとしたりして、消費することで何かのパワーを得ようとする自分の行為に改めて驚いたりする。何かを消費することでしか、活力を維持出来ないのか?緊張感を持てないのか?自分を確認出来ないのか?冗談のように物欲と戯れていたつもりが、いつのまにか物欲でしか自己を規定出来なくなっていたとしたら?ちょっとぞっとする。

ターミネーターに出てくる美少女サイボーグは寝ることが無い。みんなが寝ている間に本を読んで色々な知識を得る。「ブリキちゃん」(オズの魔法使い)と皮肉を込めて彼女は呼ばれるのだけど、ブリキ男と同じく彼女はゴーストを求めている。そもそも私にゴーストはあるのか?

とりとめないとはこういうことだ。今日は天気が悪い。