ポチの告白

昨日から公開のポチの告白。新宿のK's Cinemaにて。

3時間15分の本気。3時間15分の戦い。無駄な場面一切なし。トイレには事前にちゃんと行っておくこと、そして見た後はしばらく頭がぼーっととしてしまうから注意すること。こんな濃い映画を見ることの幸せを感じながら見た。こういう映画が長い間上映が決まらなかったというのが不憫でならない。

これは一見、警察権力と、それにすりよる人間たちを告発する映画のように見えて、実のところは見ている観客を明らかに挑発してくる映画だ。お前もポチだろ?お前も尻尾振って毎日奴隷やってるんだろ?誰かにワンワンなついて、誰かに餌もらって、それで楽しいじゃないか。それでいいじゃないか。そう思ってるんだろ?どこが違うんだよ?この映画の連中と。そう言われてるような気がしてならない。

人が組織に群れるということ。組織に忠実であるということ。そして庇護したりされたりすること。それが腐敗と呼ばれるか、暴力と呼ばれるか、団結と呼ばれるか、正義と呼ばれるか・・・それは何か別の要素が決定するのだろう。運とか。

「人は一人では生きられない」という美しい言葉は、ネガポジ反転させればあっという間にこの映画のような物語になるのだ。腐敗とは、たぶん多くの人の良さそうな顔をした我々のことである。

追記:日本の社会保障制度が会社員なら会社、公務員なら国家、芸能人なら芸能界、相撲取りなら角界・・・という風に「何に属していたか」に深く依存する(していた)ことと、この映画は無関係ではない。自分の属している組織に忠誠を誓い貢献をすること=将来の不安がない という構造が根本から瓦解し始めている時期だからこそ、「ポチ」の構造にもっと自覚的になるべきだ、と自戒を込めて思う。特に相撲とか芸能界とか、庇護/非庇護の関係に永続性/信頼性がなくなって暴露→追放→更に暴露、みたいな循環が起こり始めているし、企業も官庁もそうなってる。共同体が崩壊する時代にやるべきことは、個として強くなることだ、というのがマッチョな意見。そうじゃない側は従来とは違うあり方の共同体を作るしかないのではないか。