「イースタン・プロミス」

クローネンバーグ×ヴィゴ・モーテンセンイースタン・プロミス

ゴッドファーザー」でもなく、「仁義なき戦い」でもない。突如として溢れ出す暴力。一つの死が、別の死を呼び、それがまた別の死を呼ぶ連鎖。そういう意味では正しいヤクザ映画の系譜のはずなのに、そう思えない。

なぜだろう?クローネンバーグが、人体の破壊の描写に熱心だからか?銃でなくナイフ。全裸の決闘。入れ墨、ファミリー。。それら全ての男の物語が、アンナの視点からすれば、どうでもいい死をめぐる物語に思えるからかもしれない。そしておそらくは、この物語が失われた少女タチアナの日記から続いているからだ。

ニコライの無表情は素晴らしい。アンナのけなげさも素晴らしい。そして映画全体を覆う不穏な空気と、祈りにも似たラストが素晴らしい。
(但し、余りに評判がいい為か、劇場には普通の老夫婦とかが見に来ていて、案の定残虐なシーンでかなり動揺しておられる様子だった。クローネンバーグをあんな善良そうな夫婦に見せるのは危険だ。)

ヒストリー・オブ・バイオレンス」、そしてこの「イースタン・プロミス」ときて、クローネンバーグ×ヴィゴ・モーテンセンのコンビでもう一本見たい気もする。静かなる暴力3部作として。