つぐない
先週見た映画。「つぐない」。
イアン・マキューアンの「贖罪」の映画化。
巧みな構成とカメラ、そして緻密にして不気味な音楽・・・ラストシーンまでまったく無駄がない。
キーラ・ナイトレイは確かに奇麗だし、池のシーンとかキスシーンの迫力(スパークする若さとエロ妄想)にもびっくりするのだけど、なんといってもブライオニー役が素晴らしい。子供のもつ悪魔性がその表情や全身から溢れ出していて、ある夏の一日が、その後の一生を決定づけてしまうという・・という設定にもまったく無理が感じられない。かわいいし、こわいし、得体が知れないのだ。あの怖さは、ある種の子供だけが持っているような気がする。(「鈴木先生」で言う小川?)
そして小説(=映画)は、その後の物語を描いて行くのだが、最終的には物語は、自分自身を照らし出すことへと向かう。ここが非常にスリリングというか、メロドラマを超えた余韻をもたらす。「物語を語る」のは作家や映画監督の特権であり、その世界での神になることでもあるが、人間が物語を作り出す(神になりたがる)理由は、もしかすると単純な理由なのかもしれない。つまりそれは、「我々は現実を認めたくない」ということであり、物語でしか現実を超えられないという悲しい認識のことでもある。
我々は人の人生をいい意味でも悪い意味でも変えることが出来る。同じように他人は私の人生を変えることが出来る。つまり人生は不完全だ。全部が全部思うがままなのは、自分が神になったときだけなのである。
- 作者: イアンマキューアン,Ian McEwan,小山太一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/02/28
- メディア: 文庫
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豊崎由美そこまで言うかというほど絶賛。豊崎氏は映画の方も同じく絶賛。原作も読んでみるか?>俺。