「THIS IS IT」

土曜日。新宿ピカデリーTHIS IS IT

圧倒的なショウの映像。リハーサルではあるが、本当にそこにいてリハを見ているかのような感動。何度も踊りたくなったし、曲が終わった後は拍手もしたかった。公開して間もない頃の劇場では実際に何度も拍手が起こっていたらしい。そりゃそうだろう。あれを見てじっとしていることの方が難しい。

前にも書いたことだけど、僕とマイケル・ジャクソンの出会いは「ビート・イット」に合わせて乾布摩擦をするぜんそく児童のための体操で、今になって思うとあの「スリラー」のカセットテープが人生で最初に経験したポップアルバムだったのだ。それ以降は徐々にマイケル・ジャクソンを聴くことは減っていったけど、こうやって2009年に、再びマイケル・ジャクソンに再会することが出来た。それは「死」という出来事のせいでもあるし、その「死」すらも増幅装置として、世界中にマイケル・ジャクソンの音楽が拡散するというポップの力に戦慄するような気持ちになる。

世界中の人がなぜポップスターを好きになるのか?それはきっとポップスターのことを世界中の人が好きだからだ。MJはそんな世界の中の、神様中の神様で、本当に「人間」ではなかったのかもしれないと思った。自己表現などと言って、「自分」を表現することが「アーティスト」である現代のポップスターではなく、もっと超越的な存在。人々が愛するポップに殉じる聖人。それがMJだったし、もうこんな存在は、タレント的にも、社会構造的にも生まれないだろうと思った。

Man In The Mirrorが流れた瞬間、ハーモニー・コリンの「ミスター・ロンリー」を思い出して、どわーと涙が出た。ポップスターとしてしか生きられなかったMJと、そのポップスターのモノマネでしか自分を確認出来ない男の映画。

おそらく、人類史上かつてない拡散と浸透を成し遂げた音楽家でありパフォーマー。世界中の人々の思いを受け止めて、そのなかから邪悪なものを取り除き、良きものとして表現し、人々を精一杯楽しませようとする神様のような、そしてその信仰の入れ物のような存在に思えて、なんだか胸がいっぱいになった。