宮沢章夫/「資本論」も読む
- 作者: 宮沢章夫
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2009/08/01
- メディア: 文庫
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資本論を読んでから死にたい、ということが書かれている。同時に資本論の面白がり方が書かれている。資本論に限らず、こうゆう古典中の古典は面白がり方次第でいくらでも楽しく読めるのだろう。「カラマーゾフの兄弟」も新訳で読み直してみたらメチャクチャ面白かったもんな。
「十万鍋焼きうどん」
つまりここでは、「鍋焼きうどん」が貨幣単位である。あるいは「十万鈴木」、または「十万首すじ」と、そのことを語り出す愉楽の意味はわからないが、おそらくヨーロッパでの貨幣単位「ユーロ」も「ユーロ」、つまり「ヨーロッパ」に決定するはっきりとした根拠はなかったに違いない。そこにたどり着くまでには様々なばかな「名前」が考えられたはずである。
「十万ナポレオン」
きっとあった。
だとしたら、「物の名称は、その物の性質にとってはまったく外的なもの」だからこそ、逆に「名前」に意味があるのではないか。「名前」「名称」の根拠の希薄さが「貨幣」を象徴するかのようだ。だから百間は書いた。「決して実在するものでなく、従って吾人がこれを所有する云ふことは、一種の空想であり、観念上の錯誤である」
貨幣名とは「観念上の錯誤」そのものではないか。
あれ?これはマルクスじゃなくて内田百間について語ってる部分だ。でもこんな風にマルクスから自由に脱せんするのも面白いところ。読むという行為が、とっても愉しく自由であると教えてくれる。そして「資本論」の広大な記述が、さらにその愉しさを深めてくれることも。
ただ、さて自分が、「資本論」に挑戦するかというと微妙である。とりあえずプルースト「失われた時を求めて」は本棚で静かに10年以上眠っているんだよな。。。