フジロックフェスティバル '09 7/27

27日朝。8:49の新幹線に乗って東京へ。越後湯沢からノンストップ65分で東京につく。

家に帰ってからはひたすらに洗濯。特に靴についた泥はなかなか手強い。

スチャダラBOSEのブログに

ただ、

こんな過酷な環境にテントで寝泊まりしてまで、ロックを聴きたいお客さんの頑張りに、
そこまでして逃れたい現実社会の辛さや、悲しさも、間接的に感じてしまって、
ぐったりした2日間でもありました。
BOSE -BLOG-

って書いてあって、あー・・って思ってしまった。出てる人から見ると、そうゆう感じもするんだろうな。いや、見てる側でもそう思うときあるもんな。

今年は雨が多かった。ビールは600円になってた。食べ物も500円のものより600円、700円するものが多く、お金もきっと相当使ったのだろうと思う。「そこまでして」感はとても率直な感想だと思う。ただもう「そこまでして」感にこそ、本質があるような気もして、それはもういいとか悪いじゃなくて、仕方ないなーという感じなんだけど。

昔だったらこうゆう「そこまでしての頑張り」って、年に一度の豊作を願う村祭りとか、その他宗教的な行事とか、その他諸々のイベントで代用してたんだろうか?社会から受けるストレスも小規模で、その分解放のための儀式も小規模で済んでたんだろうか?現代のシステムはそういった諸々からのプレッシャーを、音楽+消費行動でお手軽に解消出来るようになってるんだろうか?

アッチェレランド」の中で、2030年代だかに、70年代生まれのベビーブーマーたちが集うウッドストック4(だったかな?)がテヘランで開催されて云々って箇所があったけど、あながち嘘じゃなさそうな予感もする。あまり世代論だけで予想するのもイヤだけど。

まあ年に一度のフジロックだけじゃなくて、もっとたくさん祭りに参加すればいいだけだし、なければ自分でやればいいだけだよ、と思ったりした。

昼寝をして、翌日からの「逃れたい現実社会の辛さや、悲しさ」に備える。