マイケル・ジャクソンと僕

というテキストをいったい世界中のどれだけの人がこの1週間で書いただろうか?もしかしたらその量は2000年以上前の人類がある1世紀で書いたテキストの量よりも多かったりするかもしれない。ある音楽が大量に複製され、大量に販売され、購入され、人々に愛されたというこの数十年というのは、そういう時代だったのだ、と歴史家は言うかもしれない。信じられないくらい多くの人が、たかが数分の曲やビデオに熱狂した時代があったのだよ、と。

僕は小学生の時、喘息児のための夏のキャンプに参加したことがある。六甲だかどこかの山で、大阪大学の学生(医学部?教育学部?)と、当時かかっていた京都の大きな病院の先生たちと、そして多くのそこで初めて会う喘息児たちと、キャンプをして心身を鍛える、喘息に負けない強い心と体を作るためのキャンプだった。

そこでは「喘息体操」という乾布摩擦しながら踊るみたいなことを毎朝のようにやるんだけど、そのBGMが「今夜はビート・イット」だった。今から考えると、山の中で、マイケル・ジャクソンをラジカセで流しながら乾布摩擦をする子供たちというのは相当に異様な光景のような気もするけど、僕にとっては初めてちゃんと聴く洋楽で、かっこいいなと素直に思っていた。(体操するのはカッコ悪いなと思っていたけど)

夏のキャンプが終わって、家に帰り、ダビングしてもらったカセットテープでアルバム「スリラー」を聴きまくった。もちろんしばらくは体操のBGMとして。体操に飽きてからはただのカッコいい音楽として。でもそれっきり。BADはカセットテープでも持っていないし、その後もよく知らない。(off the wallはなぜかCDを持っている。)

あの汚いTDKのカセットテープに入っていた「スリラー」というのは、もしかすると何かの魔法のランプだったのかもしれない。あれから始まったポップミュージックに何らかの感情を委託するような人生は、僕にそのうち大量のCDを買わせて、それを今はデジタル化して毎日聴きながら生きている。

一度も会ったことのない人、一生会うことなどないであろう人の作ったものに心を動かされて、まるで知り合いかのように思ってしまうこと。そういう種類の想像力が生まれるということについて。なんとなくそんなことをマイケル・ジャクソンが死んだこの週に考えている。なんなんだろうな、このシステムは、この感情は。そして今はちょうどそういうシステムが変わろうとしている頃なんだよね、たぶん。

スリラー(紙ジャケット仕様)

スリラー(紙ジャケット仕様)