「遭難フリーター」

日曜日。ユーロスペース「遭難フリーター」

映画の途中、豊田道倫「東京ファッカーズ」と曽我部恵一「WINDY」が流れる。カメラがとらえるのはほとんどが東京の風景。誰かの言葉でもなく、もちろん彼自身の言葉でもなく、当然のごとく答えは無く、ひたすらに漂流するだけの映画、と言ってしまえばそれまでだけど、多くの人にツバを吐かれたり、石を投げられたり、もしくは無言でうなずいてもらえたりするような、そんな映画だと思う。俺は絶対にツバを吐いたりはしない。彼は自分だとは思わないが、それでもしっかりこの映像を見ていたいと思った。

何者かになること/逃げること。前者を選ばなければいけないと分かっているのに、お説教されると逃走されたくなってしまうというのは、これはもう生来の気質というか、単なる愚かさなのかもしれないが、その愚かさすらも売り物にするしかないのである。生きていくということは、何かをする、働くということなのだから。

10年以上前、山手線の終電で寝てしまって、タクシー代もなかったので大崎から中野まで冬の東京を歩いたことがある。就職して最初の年の年末。途中から妙に歩くのが楽しくなったのを憶えている。この映画で高円寺から環七をひたすらに下って海へ至る夜は、なんだかあの夜を逆回転しているようで、不思議な気分になった。