「デメキング」

土曜日。渋谷シアターTSUTAYA寺内康太郎監督「デメキング」。

お酒を飲んでたせいもあるのかもしれないけど、ちょっとノレなかった映画。ものすごく原作に忠実で、あの田舎のダルい感じとか、蜂屋の無表情とか、亀岡の存在感とか、とにかく漫画を丁寧に映画にした感じがする。デメキングのシーンもすごいちゃんとしてるし。

だけど、なんかあの「デメキング」をそのまんま映画にしても意味ないんじゃないか?それだったら漫画だけでいいんじゃないか?という気がする。(俺は2007年に出たデメキングの完結版というのもラストのつけたしは意味が無いと思ったし)最後の曲(歌もの)も良くない。もっとベタな映画音楽が良かった。

あと、あそこまで原作に忠実でいくなら、詩集の人(猫宮)と、「闘え友の会」は登場させて欲しかった。あと亀岡が考える小説のラストは「国会議事堂を爆破」になってたけど、あれは「平成」って元号にするために天皇暗殺をするっていう話だったはずで、どうでもいい細部かもしれないけど、その卑小さと壮大さが交わる気持ち良さみたいなものを感じたかった。猫宮が寝言で「有名になりたいよー」っていうシーンとか大好きなんだよな。

でも1日経ってよく考えてみると、いろいろといいところがある映画という気もしてきた。バイクの音。海の風景。雨。自転車。火を吐く宇宙怪獣。本上まなみ。漫画では表現出来ないことがいっぱいある。

悶々とした田舎の夏。眠れない夜。悶々とした東京の夏。ダルい朝。そんなときに我々がひたすらに待つのは、宇宙怪獣デメキングの襲来。怪獣映画にさえなれない映画というところにこの奇妙な映画の意味があるのかもしれないし、原作同様すごく時間がたってから評価されるのかもしれない。

あんなに人の入っていない劇場も久しぶりというくらい、土曜の夕方だというのに閑散としていたシアターTSUTAYA。これがポレポレ東中野とかなら寂しくもないんだけど、ちょっと悲しい。