「崖の上のポニョ」崖は落ちるためではなく、登るためにあるんだね。

先週の土曜日に、崖の上のポニョをやっと見ることが出来た。新装された新宿ピカデリーで。

(以下、映画の内容に触れていますので、ご注意下さい。)
なんとも奇妙な映画。終わったあとにはひとしきり同行者(僕の妻およびこぐま更新係)たちに「ラストがあまりにもあっけない」「"話し合い"って映画の教科書的には最悪な解決策じゃ?」などと不満を述べてしまったが、「だってトトロも魔女の宅急便紅の豚もこんなもんでしょ」「宮崎駿に巧妙な脚本/謎→解決のカタルシスを求めるな。彼はアニメーターだ」と言われて納得してしまいました。

そう、そういう意味ではやはりこの映画のクライマックスは、まさにあのディズニーのラリラリ映画「ファンタジア」ばりの嵐のシーンであり、その中で気持ち悪く身体の変容を繰返すポニョの動きであり、J・G・バラード 「沈んだ世界」のような水に浸された街であり、その世界を魔法の船で行く、楽しいような怖いようなシーンである。あと、ポニョがひたすらにかわいいのも、ポニョの妹たちがキモくてかわいいのも、やっぱりこの映画の魅力である。ラストに何か裏切りがないといけないとか、伏線が回収されるべきだとか、そんなのは要らんやん、と言われればその通りなのだ。このイマジネーションが爆発した映像世界を、SF小説のように受け取ろうとしてはいけないよ、これはとんでもない絵本なのだから、ということ。

最も深読み出来そうで、意味がわからないシーンは、ボートに乗っている赤ちゃんを連れた家族のシーンだ。なんとなく不穏であり、不安で満ちている。僕はあのシーンを勝手に「この家族はあの嵐で死んでしまっていて、それになんとなく責任を感じてしまったポニョが償おうと思って水筒を渡すのだ」と解釈してしまったのだけど、なぜか劇場では子供たちから笑い声があがっていた。それも不気味だ。

考えてみれば、「崖の上のポニョ」とはなんとも物騒なタイトルだ。ポニョが中年の人生に絶望した人間だとするならば、「崖の上」とは間違いなく自殺を一歩手前の状態を表すことになる。しかしこの映画に描かれるのは、絶望どころか好奇心と反抗心と根拠の無い楽観に溢れている5歳児の物語なのだ。(おそらくは無意識的にだろうけど)この映画はそういった死のイメージに囲まれてしまっている大人たちから、子供たちへのプレゼントである。子供たちよ、父の束縛から自由になりなさい、大いなる母を愛しなさい、船に乗りなさい、変身しなさい、あなたたちがいるのは、生命が爆発的に生まれたカンブリア紀のような世界なのです。なにも恐れる必要はない。魚は海から地上にあがった。生命は進化する。深い海の底から一気に崖の上まで、願いさえすれば駆け上がることだって出来るのだ。

そんな風に考えたら、どうしてあの嵐のシーン、海底からいっきに海上へ上昇するポニョのシーンで猛烈に感動したのか、少しわかったような気がした。そんな感じの映画です。うん、素晴らしい映画だという気がしてきた。