「コロッサル・ユース」 ポルトガルの太陽と闇、襲いくる睡魔について

こんな映画も見ています。ペドロ・コスタ監督作品、コロッサル・ユース

155分。ひたすらに動かない画面。絵画的構図を見せつけるかのように、光や影がスクリーンに映される。セリフは何かを説明するためには存在しない。構図を延命させるためにつぶやかれるのみ。強烈なコントラストは、映画をまったく説明することなく繰返される。自分は何を見ているのか、途中で何度も見失いそうになる。

過去や現在が非シーケンシャルに並べられ、見るものの脳を壊す(というか弛緩させる)ので、ひたすらに強い眠気に襲われる。見るものは自分でこの物語(とも言えないような長い時間)を、考え、再構築しなければならない。想起されるは、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」。オッサンがひたすらにウロウロするだけの映画が、なぜか息苦しいまでの閉塞感、不快感と、そこから逃れようとする切実な意志(同時に深い絶望)を感じさせる。

正直に言えば、見ることに忍耐を要する映画である。劇場にきていた人の何割かは、確実に何度か寝たはずだ。何度かイビキだって聞こえた。もちろん私も何度か意識を失った。

ただし、それでもやはりこういった種類の映画も見られるべきだと思うのだ。水は低きに流れる。ひねくれた映画ファンはいつしかB級低予算をありがたがるようになる。それで何が悪いのか?と開き直ることも可能だが、その開き直りが楽しいのも一瞬だけのこと。我々はやはり、理解出来ないものを求め、脳が壊されることを望んでいる。たとえそれが眠気を誘うものであったとしても、凡百の「取扱説明書つき」の映画に比べれば、遥かな刺激をその後の人生に与えてくれる。

難解さを盲目的に有り難がる歳ではなくなったのだけど、時々は、「コロッサル・ユース」のような映画が必要だ。とりあえず前作の「ヴァンダの部屋」を見たいと思いましたよ。

ヴァンダの部屋 [DVD]

ヴァンダの部屋 [DVD]

「コロッサル・ユース」というと、どうしてもこのアルバムを思ってしまうが、映画とは何の関係もない。

Colossal Youth

Colossal Youth