『インビクタス 負けざる者たち』

先週の日曜日。渋谷シネパレスで『インビクタス 負けざる者たち』。

途中からぼろぼろと泣き続ける。イーストウッドの語り口は流麗でいて真っ直ぐで、誠実という他ない。事実を積み上げ、細部を磨き、総体として編集をする。本当にクソ真面目な仕事を積み上げて、「映画」という感情のかたまり、感情を揺さぶるものを作り上げる。アーティスト?職人?よくわからないけど、こんな映画を普通に作ってしまうのがイーストウッドの恐ろしいところ。

スポーツの作り出す「感動」の構造は映画とはまたちょっと違うはずなんだけど、この映画はその構造を見事に2時間15分の中に凝縮してしまった。きれいごとを「きれいごとじゃん?」って言わせないための、丁寧な細部の仕上げと、その根幹にある気恥ずかしいまでの真っ直ぐなメッセージ。だからラグビーのシーンで肉と肉がぶつかり合う音の生々しさに、作り事じゃない、きれいごとじゃないものを感じでゾクゾクした。

ラグビーでもサッカーもオリンピックも、「国別に争う」ゲームには、もろもろのネガティブな要素もたくさんある。国別じゃなくても、こういったゲームの熱狂の本質は、戦争の代替物でもあるし、その何らかの集団への帰属意識と闘争によって得られる高揚感というのは、いいこともあるけど悪い結果もたくさんもたらす。人間が社会的な動物である以上、ゼロには出来ないだろう。(だから、こういった高揚感を全て否定する人というのは、とても正しいし、僕も昔はそうなりたいとすら思っていた。無理だったけど。)

ただ本当の戦争じゃなくて、生身の体が汗まみれでぶつかりあうことで生まれる歓喜や落胆や怒りや哀しみというのは、「本当の戦争」よりもずっといいということ。当たり前だけど、そんなことを思いながら、ただただ美しいスタジアムの中と外のシーンを観ていた。なんというか、「勝つぞ」と叫ぶマット・デーモンとか、スタジアムの外で夢中でラジオを聴いてる少年とか、やっぱりあれが人間のありのままの姿なんだよな、と。