チャールズ・ストロス「アッチェレランド」

アッチェレランド (海外SFノヴェルズ)

アッチェレランド (海外SFノヴェルズ)

「ギブスンの鮮烈×クラークの思弁」「ローカス賞受賞」と帯にあれば読まずにはいられない。
帯に嘘はない。たしかに最初はギブスンかと思わせる。しかし途中からは幼年期の終わりになる。(もちろん現代の作家で言えば、グレッグ・イーガン的である。)というか、この世の全てのSFはどうやってもギブスン的近未来か、クラーク的遠未来を選ばざるを得ないのかもしれない。

「アッチェレランド」は両方を選び、しかも「幼年期の終わり」パートのぶっ飛び方が素晴らしくて、こんな小説体験は初めてだったと言っても嘘ではない。少なくとも僕が読んだことのあるSF小説の中では、もっとも正確にコンピュータサイエンスを小説に持ち込んでいて、しかもそこを立脚点にしながらもっと遠いところまで到達しようとしている小説だった。イーガンの「ディアスポラ」も相当なレベルだったけど、「アッチェレランド」はもっと本気で狂っている感じがする。狂っているというのは正確ではないな、想像と現実の境界がより曖昧ということ。

我々が生きている21世紀の初めは、もしかしたらこういう時代なのかもしれない、となかば本気で思ってしまう、文句なしに楽しい小説である。

「俺は万民の利益のために動いているんだ、パム、国家の利益なんてケチな了見のためなんかじゃない。俺の目線の先には恵与主義経済(アガルミクス)の未来が待っている。きみたちは前特異点(プレシンギュラリティ)時代の古い経済モデルに縛られたままで、稀少性を前提にした考え方からいまだに脱却できていない。資源配分問題はもう峠を越えた –十年のうちには終息する。宇宙があらゆる方向へ平坦に広がっていることがわかった以上、われわれはエントロピーの宇宙立銀行から好きなだけ帯域幅を借りられる!」