WALL・E 〜2800年逆回りの旅

12/14。TOHOシネマズ六本木ヒルズWALL・E。これはピクサーの最高傑作だと思った。俺が「頑張るロボット」という設定に弱過ぎるというのを差し引いても、生命なきモノたちへ生命を与えてきたピクサースタジオの一つの到達点と言ってもいいのではないかと。

最初の方にある、WALL・Eの部屋がすごく良かった。ガラクタだらけで、でもかわいくて、そして恐ろしい程の孤独を表現した部屋。ブレードランナーのJ.F.セバスチャン(原作のイジドア)のマネキンだらけの部屋を思い出して、この時点で既に泣きそうになる。そしてそこから物語は大きくドライブしていく。最後までWALL・Eがいじらしくて、あとその他の仲間のメカたちもかわいくて、エンドクレジットは涙で曇って何も見えません状態に。

WALL・Eはかわいい。そのかわいさは勿論人間由来のものだ。そしてWALL・Eは自らの創造主である人間がいない世界でイブに出会う。誰もいない世界。ひとりぼっちの世界。機械であれば孤独を感じずに済む世界。なのにそこで「他者」に出会ったWALL・Eは、自らの創造主と同じことをする。つまり「思い」を伝えようとしてジタバタするのだ。そのジタバタを見て、我々人間は感情移入する。人間の孤独の恐ろしさを知っているから、WALL・Eの700年に涙する。

なんでこんなややこしい物語が必要なのだろうか?人間は人間のまま描けばいいのではないか?いや、わざわざWALL・Eの形にすることで何を我々は自分自身の姿を見つめ直すのである。毎日の仕事、ガタガタの部品(体)、孤独の日々、ヴィデオが癒す心・・・でも大事なことは何かある。ロボットにコピーされ、純化された人間の魂(ゴースト)が、buy and largeな世界とその終末を生き直す物語は、人間がそのままの姿で演じる物語よりも遥かにキュートでポップだからかもしれない。(リアルであればあるほど、それは残酷な物語になる)

そう、この映画は「2001年宇宙の旅」を逆回転させた映画である。HAL9000は究極的なA.I.として人間を宇宙船から葬ったが、WALL・Eはその逆を行くのである。この映画の中で『ツァラトゥストラはかく語りき』は何もパロディ/笑いの為だけに使われたのではない。あれはHAL9000とWALL・Eの実に対照的な性格が明らかになる瞬間なのだ。

HAL9000の狂気は、人間の狂気である。WALL・Eがいじらしいのは、人間がいじらしいからである。ピクサーはついに2001年への堂々たる返答を作り上げたのだ。